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伊勢神宮参拝  [鎮守の杜・巨木]

先日のことになりますが伊勢神宮に参拝した。
私が神宮に参拝するのは初めてではなく、20年近く前にも参拝しており、その時の強烈な印象!と神様が実際にいるような感覚!が夫婦共々体験としてあった為、20年の月日を経てもう一度と思った次第だった。
ただ計画はずい分前からしていたのだが、東北の大震災のこともあり、行くべきかどうかずい分と迷ったのも確かであり、迷いながらも出かけたいう状況ではあった。
(幸い大分おちついてきており結果としては行って良かったと思う)

道中は長かったがようやく伊勢に到着し目指す神宮は目の前となった。
そして外宮には比較的すんなり入れたように思う。
しかし20年前とは違って結構人であふれていた。(前は人っ子一人いなかった)
果たして何時からこんなに人が集まるようになったのか?
決して悪いこととは思わないが、どうも腑に落ちないようなひねくれた感覚の自分がいたことも事実である。

そして内宮
時間も昼過ぎになったせいか駐車場はメチャクチャな状況となっていた。
以前は宇治橋横の駐車場(徒歩0分)にすんなり入ったのだが、今回は全く別で離れた大駐車場(勝手に命名)も満車で、宇治川の河川敷の駐車場に回ったがここも満車状態であり、ようやく一番隅のほうに駐車する。
駐車場の入り口からはかなりの距離があったが、これもまあ信仰の厚い方々が集まっているのであれば仕方なしと思い歩き、そうこうしている内に御祓い町に入る。

しかしここはとにかく人だらけで原宿の竹下通り状態となっており、噂には聞いていたがこれほどとは!思いつつ遂に宇治橋を渡り中に入ることとなる。
(ただこの御祓い町は帰りにはずい分楽しめた)

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宇治川の清流は以前となんら変わりなくここが正に聖地であることを認識させてくれた。

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そして大震災への弔意の日の丸の半旗が掲げられており、私の頭も自然と下がる。
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橋を渡り中に入ると御祓い町ほどの混雑はしていなかったが以前と比べると段違いに人だらけであった。

神宮へのお参りが目的ではあるが、神宮の御神木群もしっかりと確認しておこうと思い娘を助手に幹周囲を測ろうと思ったがあまりに人が多く、人目がきついので止める。
そんな中で目に付いた巨木
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大楠 幹周囲7m前後か

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参道から森にちょっと入ったところにあった大杉
多分これが10mクラスで一番大きいのではないかと思う

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杉の巨木群の遠景

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内宮正面
参拝も順番待ちであった。

以前はひと気も殆ど無く神々しさに溢れんばかりであったが、今回は人が溢れていた為かちょっと俗っぽくなってしまったように思う(失礼を承知で)
ただ前はこれだけのすばらしい所(正に日本の聖地)になぜ誰も来ないのか?と不満に思っていたのだから自分ながら勝手なものだと笑ってしまう。
でもこれだけの人々が神宮に参拝にきているのは素直に良いことと思うべきか。



タグ:伊勢 巨木

松川町(長野県)はカヤの巨木の宝庫 [鎮守の杜・巨木]

飯伊(飯田下伊那)地方に松川町という町があります。
そしてここには、何故か公的にはなんの認知もされていない「カヤ」の巨木群があります。
なぜ何も認知されていないかは不明です。
ただ、全く何もされていない訳ではなく、何らかの調査対象にはなってはいるようです。(持ち主談)
まあ長野県というところは東北高・中南低の地域エゴが強いので、南に天然記念物クラスの物があってもほっといているのでは思います。(冗談ではなく多分正解)
カヤは成長が極端に遅く、これらの木のように生長したものは約1000年の寿命を持つと考えられます。
(成長の早い杉やケヤキあたりと一緒にしてもらっては困る)
これらをほったらかしにしているのは文化・環境他いろんな意味で行政の怠慢と言わざるを得ません。
「反省しろ!」長野県。松川町!と言っておく。

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一番の巨木
目通り6m。30年前の大雪で結構な枝が折れる。
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これが2番目か。
目通り5m。この木は以前は物凄い樹勢を誇っていたようだが落雷によってかなりの枝が吹き飛び今のようになったとの事。

※今回の木は2本とも民家の木であり、勝手に庭先に入り込むわけにもいかず、所有者の方々に写真撮影の許可とお話を伺うことが出来ました。このため、大雪や雷等の貴重な話も伺えました。家事に忙しい中時間を頂きありがとうございました。

この地域には、この木の他にも4mクラスの木は数本はあると思われ、ちなみに1本は確認済みだったが、上の2本を見た後であまり迫力を感じず素通りしてしまった。

おまけ
全国カヤランキング
全国トップ10には入らないがそれでも全国有数ではないのか?
くどいようだが「県・天然記念物レベル」なのは間違いない。
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「巨樹に会いに行く・別冊」より引用

大六のケヤキ・上田市 [鎮守の杜・巨木]

先日、上伊那地方のケヤキの巨木群を紹介しました。
長野県では他にケヤキの巨木の宝庫として諏訪地域があります。

私が常々取り上げている巨木は北は大町・白馬から松本・諏訪を経て南は飯田近辺と、俗に「中南信」地域と呼ばれている地域です。
そして相対する「東北信」地区はそれ程縁が無いので取り上げてもいませんが、1本でかい木があります。
それが今日の「大六のケヤキ」です。

この木はもう20年以上前に普通に道を走っていて、でかさに驚き見に行った木です。民家の庭でしたが。
現状は高い枝が切られてしまい、ちょっと樹形的には残念な状態ですが、太さはかなりです。
私は先日紹介した「木下のケヤキ」と初めて見たのははほぼ同時期でしたが、こちらの方が迫力を感じました。

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高い枝が切られていてちょっと残念。
太さは目通り11m50位か。
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かつての写真。
枝が高くて樹形も迫力がある。
民家の庭なので仕方ないか。
タグ:ケヤキ

伊那谷の巨木 (ケヤキ編) [鎮守の杜・巨木]

長野県の伊那谷の巨木の紹介をします。
伊那谷は北は辰野町に始まり、南は下伊那郡の村々まで続く長大なエリアです。
ただ私としては、飯田・下伊那地区は杉の巨木の宝庫であり、大北地区(大町・北安曇)と並ぶ存在であるため、別格と考えています。
そんな勝手な解釈もあり、今回の伊那谷とは上伊那地区(辰野町~駒ヶ根市・飯島町)が対象となります。

元来、上伊那地区には「木下のケヤキ」という大物中の大物が存在しますが、杉等の針葉樹の大物は振るわず’(全く無いわけではありませんが)、個人的にはそれ程の木が無いと考えていましたが、研鑚を重ねるうちに、結構な木が多くあることに気づきました。
特にこの地区はケヤキの巨木が多くあることがわかったため、今回はケヤキの巨木集として紹介します。

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木下のケヤキ
目通り12m超 前から見るとまさに岩です。元御射宮司社跡・現保育園の庭
長野県最大のケヤキです

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南宮神社のケヤキ
約8m弱の巨木。樹形が綺麗な半円形で整った名木です。全体写真が無いのが惜しい。

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伊那白山社のケヤキ
大分弱ってきており、なんとか延命してほしいところ。以前は木下の欅に次ぐ巨木だった?

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伊那森神社のケヤキ
これは駒ヶ根市です。目通り7.2m(実測)ですが、見た目以上に大迫力です。

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天龍界のケヤキ
辰野町です。このおどろおどろしさは特筆もの
後ろ側の枝が2本ほど折れてしまっているのが痛々しいのと樹形に影響が。
根元にはお地蔵さんが鎮座している。

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法性神社のケヤキ
根元の物凄さにまず注目
見上げると結構な高さ。
ここは神社そのものもすばらしいところです。

巨木の残照 でかい切株群 [鎮守の杜・巨木]

以前、切株マニアであることをカミングアウトさせてもらった。(それ程たいしたことではないですが)
巨木同様、過去の巨木である「巨大な切株」は私の思いをくすぐるものがある。
そんな訳で印象に残った切株をいくつか紹介したい。

今回は長野県北部大北地区(大町・北安曇郡)の切株をいくつか

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上・仁科神明宮参道手前の3本杉 但し真ん中のはご覧のとおり切株 残った2本は7m超 高さ50m
下・仁科神明宮 旧御神木の切株 約30年前に伐採 国宝の本殿横にある
 この状態で目通り10m以上 かつては長野県で一番高い樹
 私の切株の原点の一つ

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若一王子神社
ここは切株の宝庫です この状態で直径2.5mクラスの切株がいくつかあり
一番上のは年輪も中心部まで詰まっており、なぜ切株になっているのか不明。(これのメジャーは2m)

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仁科神社 これは仁科神明宮とは違い信濃の名族仁科氏の城跡が神社になっており、ここにも巨大な切株が隠れていました

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大宮神明宮の切株
伐採箇所が比較的高くこの状態ですっくと立っていた予感がする 大北地区にはこの様な巨大な切株がいたるところにあり奥が深い

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木崎湖横の諏訪神社にある切株
既に朽ち果て、何の目印も無く知る人も多分知らない切株
実はこの切株は私の中では仁科神明宮、南木曽の八剣神社(これは4本中2本が切株)と並び3大切株ともいえる思い入れのある切株です。

各切株に目安に置いてあるメジャーは基本1mです
若一王子の一番上は2mでおいてあります。
実は大町・北安曇にはまだまだでかい切株があります。
その他は次回に。

旧山口村・・・今は岐阜県の諏訪神社の巨木 [鎮守の杜・巨木]

昨日のブログにて木曽谷の最南端、南木曽町と書きましたが実は3年ほど前までは山口村という村がその先にありました。
平成の大合併で日本で唯一越境合併した村で、現在は岐阜県中津川市です。
全国的にも有名な「馬籠宿」があり出身の島崎藤村の生家があり、「破壊」でも取り上げられていました。

まあ北に偏重している長野県政に嫌気が差して出て行ったんですが、確かに私も気持ちは分かります。

さて諏訪神社ですが巨木もさることながらものすごい切り株もありました。
このため巨木の記憶がどこかに飛んでしまいました。IMG_2765_R.jpg
説明書きは「長野県」そして(旧)山口村、岐阜県が入り混じっている
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社殿は結構立派です
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目通り5mの杉。結構な存在感がありもうちょっと大きいと感じました。
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巨大な切り株
直径3.3m(実測)。朽ち果てているので存命中は当然もっと大きいはず。
切り株化してもうどの位経つのだろうか?

木曽谷の巨木 与川白山社の大杉 [鎮守の杜・巨木]

木曽谷の最南端の南木曽町へ。
ここには有名な妻籠宿があります。
そして私的にはもっと注目して欲しい巨木があります。
一つは過去も紹介した「八剣神社の四本杉」(但しこれは今は二本杉となっていますが。)
そしてもう一つは「与川白山社の大杉」です。
この木は目通り周囲は8.3m(実測)ですが15mくらいまで太さが変わらず、かつ真っ直ぐ枝で上が見えなくなるまでそのまま伸び続けており、見上げた者を圧倒します。
迫力という点では目通り10m超の八方尾根横の「細野諏訪神社の大杉」にも引けをとらなのではないでしょうか?
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以前に来た時と比べ鳥居が新調されていた。
後ろを見ると「平成22年5月吉日」となっていた。さて今日は5月1日だった?
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本殿横の幹の白い檜の巨木、そして手前の檜の巨木(下の写真)
目通り約5m。檜ではめったにお目にかかれない。
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与川白山社の大杉
右側は約7.2m
左側は8.3m(どちらも実測)兎に角迫力有り。
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本殿後ろは延々と続く石段。この上にまだまだ続き途中まで3回ほど曲がりつつ登ったがキリが無いのと何か危険な感じがして止める。
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切り株あり。
直径64cmで樹齢260年!樹齢と太さから檜だろうか。

諏訪大社 御柱祭を世界遺産に [鎮守の杜・巨木]

現在、諏訪大社の御柱祭が進行中である。
先週、前半の見所の上社の山出し(木落としと川越し)が終了し、今週は下社の出番となっている。
私は諏訪の人間ではないのでTVで見ているだけだが、一応の見識はあるつもりでいるので一言。

まずはタイトルの世界遺産とは何か?
単純に言うと立派な建築物と雄大かつ希少な景色、そして文化のどれかがあれば決まる。
まあ立派な建物といっても韓国のように「ファンタジー改造・捏造」して以前のものとは別物を作り上げてしまうとんでもない民族もいるが、それでもなぜか世界遺産になってしまっている。

証拠写真
驚く無かれ。このボロ屋の写真は1973年当時のもので結構最近のもの。
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諏訪大社御柱の神々しい祭りの話のつもりが脱線してこのようなボロ屋の写真を出して恐縮だが、こんなものでも世界遺産とまかり通っているということ。ようはごね得か?

さて、諏訪大社に話を戻すと、建物自体は現在は重文指定であるが、私は国宝の価値十分と考えている。
そもそも江戸以前は中央の都市圏(江戸・大阪・京都)と比較すれば田舎では残念ながら建築文化、経済力の民度ともに劣る事は事実であった。そのような格差社会の中でこれだけのものが伝承された。
そして今も脈々と生きている信仰がある。
先だって奥州平泉の浄土信仰が認められなかったが、現在風化してしまっていれば仕方ないともいえる。
(あくまでも比較の話で、私は残念と思っている。特に地方文化としては。)

建物、信仰を伴う無形文化、そしてそれを継承していく人々の熱意。
世界遺産に早くしてくれと思うのは私一人だけではないだろうと思う。                       IMG_2407_R.jpgIMG_2405_R.jpg
上社木落とし坂~本番1週間前の神事
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下社春宮拝殿(重文) 
氏子準備中
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下社秋宮 神楽殿と木落とし坂
神楽殿は国宝級。この後ろに拝殿がある。
 木落とし坂は下社のほうが急で迫力がある。

諏訪大社御柱祭 川越しの宮川 [鎮守の杜・巨木]

いよいよ諏訪大社の御柱祭が近づいてきました。
今回は以前に比べマスコミに取り上げられる機会が増えたようで地元も活気付いてきているようです。
一口に御柱祭といっても諏訪大社は上社下社と2社ありまたそれぞれ本宮・前宮、秋宮・春宮と分かれていますが、今回の写真は上社の「川越し」の現場です。

御柱はなんといっても「木落とし」が有名ですが、上社はどちらかというと「木落とし」は下社に比べると地味で(まず場所が違う:但し今回から木落とし坂を整備し直したので多少は違うかもしれない)、「川越し」がメインと言う人もいます。
当然御柱を運ぶ道中の範疇ですが。

とりあえず仕事中でしたが同行した人が教えてくれたので写真を撮りました。
ただ教えてくれた方もそう詳しくなくて、渡河ポイントはよく分からず、この写真のどこかで渡るそうです。

早春(冬か)の宮川
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白馬村 切久保諏訪神社の大杉 [鎮守の杜・巨木]

この木は私の中ではかなり上位にランクする木です。
目通り幹囲は約8.5mですが、実際は3m位の高さで2本に分岐しているので一本々はちょっと細くなります。
しかしこの木はそれらを凌駕する圧倒的な高さを誇っています。
高い木はそれなりに見てきましたが、この木を見るといつも圧倒されます。
近くで見上げても、ちょっと離れてみても、遠景で見ても、やはり高いなと感じます。
さて、では実際の高さは?測っていませんが、50m以上は確実にあると思います。

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根元 2本分なので根元で測ると10m以上の巨木

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見上げてみる とにかく高い!

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遠景 2本の樹冠を誇っているのがこの大杉
左側の木は低く見えるが、私はこの木が50mクラスと実は思っている。但し神社の構造上2本の大杉は3~4m高いところから生えている。
2本の木の右奥の高い木が神社の御神木
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