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友好・信頼の大前提として [国際情勢]

どうも日本のTVには馬鹿しかいないようである。
昨日テリー伊藤がアサヒの昼の番組で
「中国とは日本は仲良くなるべき国で、中国を想定した抑止力など考えがおかしい」
ような意味のことをいっており、そこにいた連中が納得していた。

友好とか信頼とかはどのような状況で生まれるのか?
それはお互いを認め合って初めて生まれるものとなる。
それは我々の日々の日常生活でもそうであり、ましてや国益が絡む国家間それ以上にシビアとなる。
会社でも新入社員を何人か指導し、素晴らしい人材となった者もおり仕事面の信頼は十分出来たが、対等な関係にはならない。それは上司と部下の関係となる。
つきつめて言ってしまえば「親分と子分」の関係である。

国家間では何を目安とするのか?
それは全てが軍事力が決定する。
話はそれるが戦前の日本の発言力は今とは比較にならないレベルで、アジアに関することは欧米から事前に内々に打診が合ったとの事である。(今の中国か)

軍事的な裏づけが無ければ対等な信頼関係など成り立たない。
そして残念ながら今の日米関係は「親分子分」関係である。

さて話を戻すと、中国と対等な軍事プレゼンス無しで対等になるなど有り得ない。
そして中国の根底には儒教がある。
儒教思想には「対等な概念」など無い。10人いれば1番から10番まで順位が決定される。
今の中国は明らかに日本を下位に位置づけており、その考えを改めさせるには軍事的な裏づけが必要となる。
逆に軍事的に不利と見るやおそらく手のひらを返して低姿勢になるのも中国人である。

私は中国と戦争をしろなどとは言わないし、表面上は友好で構わない。
経済関係等の構築も進めるべきと考えている。
しかし握手する裏ではいざという時の刀を握っていなければ何も出来ないし、信頼など生まれない。
軍事的な抑止力無くして友好など成立しないのである。
テリーはただの子分になれと言っているだけである。
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